挑戦する人(成功する者)に変人が多いと言われる理由【成長しない人との決定的な違い】

挑戦する人(成功する者)が変人と言われる理由【成長しない人との決定的な違い】

「成功者には変人が多い」といった言葉を目にしたり、実際に聞いたりしたことは誰もが一度はあるかもしれません。

得てして才能とは理解されないものなのかもしれませんが、実際のところ成功する人のほぼ全てが「努力家」で、才能というよりも人が見ていない場所で努力を積み重ねた結果、その地位にいるという場合が多いはずです。

そして、自分のやっている努力を基本的に周りの人に話すことはあまりないんですね。

その理由はとてもシンプルで、「理解されない」この1点に尽きます。

要は、話をするだけ時間の無駄ということですね。。。

そして、周りの人からは「変人」として扱われ、敬遠されやすい傾向にあったりします。

僕も昔から結構「変人」という目で見られ、時に面と向かって「おまい・・・変わってるよね・・・」みたいな感じで言われたこともあります(笑

だけど、僕はそれを全く気にすることは無いし、むしろ「変人」は最高の褒め言葉だとも思っています。

人は本能的に集団の中で生きる生き物ですから、周りから敬遠された状態になると、最初は精神的な面でキツイこともあるかもしれませんが、慣れれば余裕です(笑

では、なぜ挑戦する人(成功する者)が変人と言われやすいのかについて、以下で詳しく書いていこうと思います。

何も無い状態から這い上がって、何かを成し遂げようとする人には避けては通れない道だと思いますので、これから何かに挑戦しようとする方の為になれば幸いです。

挑戦し続ける人としない人の違い

挑戦し続ける人と、しない人では思考が全く違います。

挑戦し続ければ、多くの失敗を経験しますが、逆にその分だけの学びがあります。

挑戦しなければ物事に対して失敗と呼べる失敗は無いかもしれませんが、何も生まれず今の自分から少しも変わることは無いんですね。

以下では、哲学者が考えた有名な話である「洞窟の比喩」を元に両者の違いを書いていこうと思います。

洞窟の比喩

洞窟の画像

洞窟の中では、「生まれた時から」そこで暮らしている人間(囚人)たちがいます。

ここに住む人たちは皆、洞窟の壁に向かって「壁を見つめるだけ」という生き方をしているんですね。

洞窟の比喩の画像①
※イメージです

彼らの後ろには炎が灯されていて、その炎の光で照らされたモノの影が壁に映し出され、彼らはその「影」だけしか見ることが出来ません。

※人と炎の間には壁があって、また囚人が故、鎖に繋がれているので後ろを振り返って炎の存在や壁に映っている影の実物を知ることは出来ません。

洞窟の比喩の画像②

彼らは、炎の光で映し出された影しか見ることが出来ないので、それが「世界の全て」なんだと思い込んでいます。

その後も、全く同じ光景しか見ることが無いので、それだけが世界の全てだと何も疑うことなく生き続けていくことになります。

・・・そんなある日、囚人の「1人だけ」が解き放たれます。

そして、最初に知ったのは、今までずっと見ていたものは炎に照らされて壁に映った影に過ぎなかったことを知ることになります。

その後、洞窟を出ると頭上には大きな「太陽」があって、洞窟の中で見た炎とは比べ物にならないほど明るいものの存在を目の当たりにします。

この時、1人解き放たれた囚人は「太陽こそが世界の全てを照らし、この世の中を映し出していることが真実だ!」ということを知ったんですね。

世界の真実を知った1人の囚人はテンションMAXの状態で、その真実を洞窟の仲間たちにも伝えようとします。

洞窟の比喩の画像③

・・・しかし、彼の話を信じる者は誰一人としていなかった。。。

そして、真実を知った囚人は仲間に話しても無駄だと分かり、自分たちが如何に狭い世界にいるかを知りつつも、それ以上の話をすることはありませんでした。

つまり、洞窟の中にずっといる人たちにとっては、自分が見たものだけが全てだと結論付けてしまっているので、実際に自分の目で見たことが無いことを言われても、それを信じようとは思わないという事なんですね。

その後も、洞窟で以前と同じように「影」だけを見る生活に戻りますが、真実を知っている囚人だけはその影が本当の姿じゃないことを知っているので、前とは同じような考えで影を見ることは無くなった。。。(おしまい)

挑戦し続ける人としない人では見ている景色が違う

上記で書いた「洞窟の比喩」は、物事において「挑戦し続ける人」と「(何も)しない人」の間に起こる考え方のギャップをそのまま表すことが出来ると言えます。

挑戦し続けて結果を出す人は、とにかく「行動」を起こし失敗を経験して、何で失敗したのか自分で考えてまた挑戦して、、、というサイクルをずっと継続してやっています。

なので、色んな経験をして実践ベースでの知識が蓄積されていくし、また新しい事にもどんどんチャレンジしていきます。

時に周りの人たちが驚くような行動に出ることもあるはずです。

皆さんの周りにもいるかもしれませんね、何事もやることが大胆で時に危ないと思うこともあるけれど、ちゃんと結果を出して周囲の人を巻き込むような人望の厚い人が。。。

そういう人は、常に考えて挑戦し続け、成長していける人だと断言できます。

逆に、成長しない人というのは、何も行動を起こさない人ですね。

何も行動を起こさないので、失敗こそありませんが成長もありません。

まあ、それだけならその人個的な問題なので正直どうでもいいことですけど、何もしない人というのは、挑戦し続ける人を完全否定する傾向がメチャクチャ強いです。

理由は大きく二つあると思っています。

  • 自分の知っていることが全て(洞窟の比喩)
  • 自分に無いものを魅力に思う(ただの嫉妬)

まず最初の「自分の知っていることが全て」というのは、まさに先ほど書いた「洞窟の比喩」と同じ理由ですね。

何も行動しなければ、何も知ることが無い。

つまり、自分がいかに狭い世界で生きていることに気付くことが無いという事実があります。

狭い情報量、狭い知識の中で世界観を決めつけてしまうんですね。

もし仮に、自分の知っている世界ではない別の真実を言われたとしても、その人にとっては知っていることが全てなので、それ以外のことは完全否定します。

そして、自分が信じていること以外の事を言う人に対して、執拗に否定したり、変人扱いするといった行動に出るという事ですね。

そして、二つ目の「自分に無いものを魅力に思う」という事ですが、これは人間の本能的な部分でもありますけど、人は自分に無いものを魅力に思ってしまう生き物です。

「隣の芝生は青く見える」ってやつに似ていますね。

そして、自分が出来ない(しない)ことを果敢に挑戦する人に対しては嫉妬心を抱き、ついには悪口を言ったり、変人扱いする傾向が強いのが特徴だと言えます。

なんでそんなことをするのかと言うと、何もない自分が魅力的で実績のある人に勝つには、その人を蹴落とす以外に方法を知らないからですね。

そうすることで無理やり相手を自分より下だと思い込ませ、自分の承認欲求を満たし、精神が崩壊しないようにしているんですね。

つまりは、自分の無力さに自我が崩壊しなようにするための一種の行動です。

結構ディスってる事を言っていると非難されるかもしれませんが、残念なことにそういう人は周りにかなりの数います。

何か新しいことを始めようとすると、例外なく「変人扱い」する人が現れてきます。

もし、あなたが成長して成功を掴みたいと思う人であれば、そっち系の人間になっては絶対にダメです。

オワコン確定します。

周りの多数に変人扱いされたり、馬鹿にされるのって精神的にかなりキツイですけど、そんな人たちを一発で黙らせる方法があります。

それはもう、シンプルに「結果を出す!」コレ1点に尽きますね!

挑戦し続けていれば、結果は出るはずですし、だんだんと周りの人たちも「実はスゲー奴なんじゃね!?」と気付くようになって、終いにはコロッと態度を変えてくるんですよね。。。

なので、挑戦しているうちは「全然変人でOK」という考えで丁度いいと思っています。

両者は分かり合えない

本当に努力をしている人って、裏でどんなに血の滲むような努力をしていたとしても、それを公にすることはほとんど無いんですよね。

数年経ってから、「実はあの時はそんなことをやってました~」といった感じで、思いで話程度にすることはあるかもしれません。

でも、いま絶賛頑張り中の物事を周囲の人と共感するということは少ないはずです。

※同じ道で頑張っている人同士なら別ですが。。。

この理由は、自分が頑張ってやっていることをタダで教えたくないというのもあると思いますが、それ以上に、やってもいない人に言っても120%理解されないということを知っているからですね。

たまに「自分のやっていることはこんなにすごい事なんだ!」「価値あることなんだ!」と熱弁している人がいますが、さっきの洞窟の比喩の話じゃないですけど伝わらない人には絶対に伝わらないです。

なぜなら、人の考えを変えることなんて不可能だからです。

そんなことをするくらいなら、自分が変わってどんどん先に進んだ方がストレスも無いし、自分で意思決定して好きなように突き進むだけなので楽なんですよね。

本当に努力している人は、このことを良く理解して時間の無駄だと知っているからあまり話さないだけです。

まあ、他にも

  • 本当に価値ある情報だから話せない
  • 話過ぎると自分の価値(魅力)が下がる

というのもあると思います。

いずれにしても、挑戦する人とそうでない人には決定的な思考の差があって、それを両者理解し合うというのは不可能です。

僕もそうですが「変人」は、結果を出すまでは孤独な戦いが「長く」続くかもしれませんが、もし周りの人に悪意を向けられたとしても、それにいちいち付き合ってちゃあいけないってことですね!

最後に…

上記では、成長する人としない人の決定的な違いを書いてきましたが如何だったでしょうか。

また、この両者では思考や行動力、そして圧倒的な経験の違いから分かりあえることは120%無いということにも触れてきました。

何もしなければ失敗しない…失敗しなければ恥ずかしい思いもしなくて済みますし、変人扱いされずにアンパイな生活が送れるので、それはそれでいいかもしれないです。

これが挑戦しない人ですね。

逆に、挑戦し続ける人はこの逆を歩んでいくわけですから傍から見ればすごく“大変そうなイメージ”です。

※良い部分だけを見ると羨ましがられることもあるかも知れないですけどね(笑

でも、毎日毎日おなじ日常に満足できないという人は、変人と言われようとコッチ側の人間になるべきです。

人は変化を嫌う生き物ですが、変化があるから楽しいし年を取っても常に新しいことにチャレンジできるということ自体に凄く価値がある事だと思っています。

 

 

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