承認欲求という言葉は誰もが聞いたことがある言葉だと思いますが、簡単に言うと承認欲求とは「他人から認められたい」という人間の欲望(感情)です。
この承認欲求は、人間の本能的な部分でもあるので強弱はあれど誰もが例外なく持っているんですね。
なので、無意識のうちに人は色んな所で承認欲求を爆発させて、自分の欲を満たそうとしているんですね。
自分を良く見せるという言動というのは、まさに承認欲求からくるものですよね。
承認欲求は人が持つ「本能」なので、これを捨てるということは不可能に近いと思うかもしれませんが、承認欲求が強すぎるとマジで人は不幸になります。
僕も昔は「人に認められたい!」という気持ちが強く、それによって失ったモノがヤバイくらい多かったですが、僕に限らず承認欲求が強くて得をしたという話は今まで生きてきた人生の中で一度たりとも聞いたことがありません。
むしろ、成功者ほど承認欲求の存在を否定しています。
それほどまでに人の人生において、この承認欲求が弊害となるのが分かります。
まあ、これは僕の過去の経験からしても全くもって共感できるんですが、なぜ承認欲求が強いと人は不幸になるのかを書いていこうと思います。
承認欲求の塊は人を不幸に陥れる
僕は、昔の自分を思い返してみて「承認欲求の塊だったなぁ~・・・」としか思わないほど承認欲求が強かったんですね(汗
そして、承認欲求が強くて一番損する(不幸になる)と思う部分は、
「他人の人生(時間)を生きてしまう」
という、この1点に尽きると思っています。
他人から承認を求めてはダメ
何か物事を”団体(複数の人)”でやるときって、周りの人から認めてもらいたいと思うのはごくごく普通の事だと思います。
まあ、認めてもらいたいというか、せっかくやるんだから「凄い!」って言われたい的な感じでしょうか。
ただ、何か物事に挑戦する時、「人から良く思われたくてやる」という場合と「自分の目的のためにやる」では、行動や結果自体に明確な差が出ます。
この2つのうち、「人から良く思われたくてやる」というのは、他人から承認を求める行為、つまり「他人の人生(時間)を生きる」という行為そのものです。
過去の僕もまさにコッチ側の人間でしたが、どういう思考になるかというと、
- 常に人の顔色を気にする
- とにかく良い風に思われたい
- 気に入られたい
- 怒られないように行動する
- 嫌われるのが怖い
- お願いを断れない
・・・などなど、常に他人から良く思われるためだけの行動しか出来ない自分になってしまうんですね。
ただ、他人から良く思われるための行動というのは、別に100%悪いことでは無いです。
それが、その人が求めている技術や実績を成せていれば、、、の話ですが。。。
ここで問題なのは、良い人になろうとして「ただの都合のいい人」になってしまう事です。
例えば僕の場合は、仕事で自分がやらなくても良いモノもヤバイくらい積極的にやっていました。
何でも積極的にやるというのは何も悪いことでは無いですが、それがその後の人生で必要なことならいいのですけど、そうでなければ時間だけが消費して得るものはマジでゼロです。
そして、「都合が良い人間」というレッテルを貼られると、どんどん生産性のない雑務を押し付けられるようになってきます。
でも、生産性のない雑務を延々とやるということは、誰でもできる面倒な事をやるという事でもあるので、作業スピードはアップしますけど、それ以上(それ以外)が無いんですね。
僕は、「仕事を任せてもらって嬉しい!」「必要とされている!」といった感じで、時に無給で仕事をしているのにも関わらず、むしろ喜びすら感じていたのを今でも鮮明に覚えています。
今思えばメチャクチャ恐ろしいです・・・多分、何かに取り憑かれていたんだと思います(汗
信頼と信用がゼロの人間になる
世の中にはクチが軽い人っていますけど、これも承認欲求と大きく関わっていると思います。
僕も色んな仕事をして、自分なりに色んな人を見てきたつもりですが、このクチが軽いっていうのは、めちゃくちゃタチが悪いことだと十分に理解しています。
例えば会社内の極秘資料や外部に話せない社内情報、友達同士だけの秘密があったとして、普通はこれらの情報は絶対に他人に話すことは無いですよね。
承認欲求が強く、クチの軽い人というのは上記に該当するものであっても、簡単に口外してしまいます。
そもそも何でクチが軽くなってしまうかと言うと、情報を与えることで良く思われたいという欲求(感情)が関わっていると思うんですね。
その情報は、話した相手がビックリするようなインパクト抜群のものの方が良く、それを話すことでコッチに振り向いてくれる(気に入ってくれる!)って感情が働くのだと思います。
なので、絶対に話してはいけない情報ほど、クチの軽い人にとっては最高の餌でしかないんですね。
つまりは、絶対に洩らしてはいけない情報ほど、「早く話してぇ!」の精神で一瞬で話してしまうので、超タチが悪いですよね(汗
たまに、「その情報って話しちゃって大丈夫なの?」ということを自慢げに話してる人がいますけど、聞いている人からすれば、コッチの情報も駄々洩れになると一瞬で理解できるので、信用も信頼もされない人間になってしまいます。
その結果、与えられる情報や仕事も限りなく制限されますので、幸せになれるわけが無いですよね。
承認欲求を捨てるためには
そもそも、なぜ承認欲求が強くなるのかと言うと、人から良く思われたいというのは「自分に自信が無い」という表れでもあると言えます。
自分自身に絶対の自信があれば、人目なんてまず気にならないからですね。
僕自身が実際に経験した中で、承認欲求が強いことで起こりうるデメリットは、「他人に人生(時間)を生きる行為」だということですが他にも、
- 自分が見えなくなる
- 良い人間関係が作れない
といった感じのものもあります。
自分を良く見せるだけの行動だと、先に繋がる行動とか本当に自分のやりたいことが出来ないんですよね。
作業量はメチャクチャ多いのに成長しないのと同じです。
そして、人は事あるごとに「人間関係が大事」という発言をしますが、良い人間関係というのは双方の信頼から成り、その信頼とは実績を積み重ねることでしか得ることは出来ません。
良く思われようと頑張っても、何かを成し遂げ実績を作らなければ「都合の良い人」から発展することは難しいし、評価されることも無いと思った方が良いですね。
夢中になれることを見つける
承認欲求が強いということは「自分に自信がない」という理由がありますが、逆を言えば自分に自信を付けることが出来れば良いという事ですよね。
とはいっても、すぐに自分に自信を付けるというのはなかなか難しい話です。
でも、小さな成功体験をすることで自信を得ることは可能です。
例えば、ブログ運営にチャレンジして1ヶ月で10記事書くといったように、大きな目標ではなく、頑張れば達成できそうな目標を何個も立てます。
そして、それを達成しようと努力すると得られるものがいっぱい出てきます。
それは、
- 自分の意思決定力
- 成功体験(自信に繋がる)
- 夢中になり他人が気にならなくなる
といった感じで、何か夢中になれることを見つけて、目標設定をして努力すれば、他人から承認を求めることがどれだけ無意味なモノかに気付きます。
そして、別に承認される必要なんて全くない事にも気が付くはずです。
承認されたところで自分の人生が良くなるってことは無いですからね。
逆に、どれだけ悪く思われても同じです。
どれだけ嘲笑われたり、馬鹿にされたり、悪口を言われたとしても、自分が止まらない限り何も影響ないんですよね。
つまり、承認欲求はマジでゴミ以外の何ものでもないと断言できます。
凄く参考になりました!ありがとうございます!